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「見える」ということー映画における原爆表現と生物性(後編2)

 第二次世界大戦をめぐる議論の1つの中に被害性と加害性の逆転というものがあります。 近代史家の泰斗、ジョン・ダワーはその著作『敗北を抱きしめて』において以下のコメントを残しました。 「広島と長崎は日本人が被った苦難の象徴となった。 それは一種の倒錯した国宝として戦争の記憶を 日本に起きたことだけに限定させ、 日本が他者に行った暴虐の記憶を抹消した。  つまり広島と長崎を記憶することは 南京やバターン、泰緬鉄道やマニラの他、 日本人でないものが受けた限りない暴虐を 意味する記号を忘却するための手段となった のである」   要は被爆という記憶を特別視することで自分たちの負の歴史を忘れることが出来たということで、 確かに最近の日本の政治を鑑みても安倍前首相や河村市長、吉村知事など忘却どころか捏造すらする政治家が肩で風を切って歩いており、 しかもそういう政治家に限って虚偽答弁や証拠の捏造、隠滅をしていて信のおける人物とはとてもじゃないが言えないのに、マリオの格好をしたりソフトクリームを食べただけで支持率が上がってしまう物凄い様相を呈しているわけです。 (そういえばパンケーキを食べたり 令和と書かれた紙を掲げただけで 大人気になれた首相もいましたっけ)  歴史に理解がある人

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